​始まりの物語 beginning story

​プロローグ

 インドでの植林プロジェクトがスタートしたのは1993年。以来、現地では毎年植林が続けられていて、2016年までの植林本数は4331万本、面積は23811ha=238k㎡となりました。これは大阪市の面積(223k㎡)を少し上回る広さとなっています。

 この植林プロジェクトは、いくつかの必然的な出会いによって生まれ、そこに関わるたくさんの人たちの思いが幾重にも掛け合わさって広がり、そしてずっと継続されてきました。かつてはあちらこちらに荒野が広がり、木がまったくなかったりまばらだったりしたインドの大地は、今ではそれが想像できないほど見事な森として蘇り、広がっています。

 

 このプロジェクトの始まりには、まず、すでにお亡くなりになられた3人のキーパーソンの存在をあげなければなりません。一人は自然農法家の福岡正信さん。25歳のとき大病しことをきっかけに覚醒体験があり、その後人間の手を極力加えない自然農法の実践を始めました。不耕起、無肥料、無農薬、無除草の農法とその哲学を表した著書「わら一本の革命」は世界中で読まれ、多くのエコロジストたちに大きな影響を与えることになりました。もう一人はP.ダスグプタさん。若くしてインドの独立運動に身を投じ、投獄され、長い間地下生活を余儀なくされました。インド独立後、長い拘留から釈放されてからは農村の復興と開発支援を目的にタゴール協会を設立、生涯をかけて農村の指導に当たってきました。ダスグプタさんが「One Straw Revolution(わら一本の革命)」を読んで感銘を受け、その自然農法の教えを請いたいとインドに招待したところから物語りは始まります。

 三人目は牧野財士さん。農業指導のため34歳でインドに渡り、その後、タゴール国際大学の日本語教師となりました。タゴール国際大学は、詩人であり、教育家、哲学家、そしてアジアで初めてのノーベル賞受賞者でもあるラビンドラナート・タゴールが創設した学校です。タゴールはインドとくにベンガル地方での精神的支柱であり、ダスグプタさんはそのタゴールの名を冠して協会を設立しています。福岡さんを招聘するにあたり、ダスグプタさんは牧野さんにインド滞在中の通訳と身の回りのお世話を依頼したのです。こうしてまず、福岡さんのインド訪問により三人の出会いが実現することになったのです。

 第一章 福岡さんとの出会い

 福岡正信さんの存在を初めて知ったのは、ベルリンの壁の崩壊の余韻が残る、年の改まった1990年の1月のことでした。福岡さんは知る人ぞ知る自然農法の創始者で、著書の「わら1本の革命」は世界中に翻訳され、エコロジストのバイブルとも称されるほどオルタナティブな世界を模索している人々に大きな影響を与えています。日本より世界でのほうが有名の

左から牧野財士さん 福岡

正信さん ダスグプタさん 

1991年

「福岡正信先生とインド」 

(牧野財士著 地湧社)より

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