​その4

フの人はひとつの器の中身をライスにかけ、右手でそれを混ぜ始めました。どうやらそれはダルというもので、豆を煮たものであり、辛くはなく、食べやすいものでした。さすがに手で食べることができず、促されるままスプーンをとり、見よう見まねで食べ始めました。もうひとつの器は野菜を煮込んだもののようでこちらは辛く味付けされていました。思ったよりおいしく、ライスともよく合い、まさに本場のカレーというものでした。なんとか食べ終わるかと安堵していたら、ライスを入れた容器を持つ人が現れライスを足していきました。びっくりしてそして呆然としました。始めに戻ってしまったのです。ダルも注ぎ足されました。結局大盛りのライスを2杯分平らげることになったのでした。ダスグプタさんはコップの水を飲みながら、この水はあなた方には危険である、とニコニコしながら忠告するのでした。その笑顔を見ながらダスグプタさんの暖かくもお茶目な素顔を垣間見た思いがしました。そして住民の手による植林は避けられないように感じたのでした。

​牧野先生

第三章 牧野先生を訪ねる 

 初めての訪印の翌月の11月、航空撒きと植林の

2本立てのプランを持って再びカルカッタに飛び、航空撒き実施の候補地であるオリッサ州で知事との会談と交渉も無事終え、なんとか計画がまとまり、翌年の実施が見えてきました。タゴール協会の全面的協力を得ることもできそうです。そのとき、タゴール協会のスタッフから強く勧められたことが、このプロジェクトを進めていくためには

くださいました。福岡先生のことやタゴール協会との話し合い、ダスグプタさんの方針、またタゴール大学のあるシャンティニケタンを訪れたことやいくつかのプロジェクトの視察を行ったこと、そして最後に緑化プロジェクトへの協力についてのお願いをしました。

 牧野先生は定年で15年の教師生活を終えられたあとで、日本に戻ることも含めて人生の大きな転換期を迎えておられたようでした。大学で農業や畜産を学び、また日蓮宗のお寺で修行された後、インドに獣医畜産の指導のため渡印され、紆余曲折を経て最後はタゴール大学の日本語の先生をされていました。そのときすでにインド在住34年。大学の教授や僧侶、学生、旅行者などインドを訪れるさまざまなたくさんの人が牧野先生を頼り、教えや案内を請いました。福岡先生やタゴール協会との出会いと縁もその延長線のことで、この出会いは牧野先生に大きな影響を与えることになりました。 

 プロジェクトにはおおいに興味を持っていただいたようで、少なくとも翌年の実施の時にはお手伝いいただけるとのことでした。後日、このときのこ

是非とも牧野先生の協力を得なさい、ということでした。牧野先生はタゴール大学で日本語の教師をされていて、このときちょうど日本に帰国されているようでした。戻ってからすぐに連絡を取り、滞在されている福知山を訪れたのは12月15日のことでした。

 ガンディー帽をかぶり精悍で穏やかな雰囲気の牧野先生は興味深そうに話をきいて

​タゴール大学キャンパス

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