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 ジェクト」と位置づけること

2)仏教発祥の地であるインドは日本人の精神の故郷であることから、故郷への恩返しとしても意味があること

としました。このことは、訪問時の住民集会のときに必ず話すことにしていますが、住民にとってもわかりやすいコンセプトとして受け止められたようです。また、とくに女性や子どもたちは未来や次世代のために木を植えることから「100万人の母と子の植林」をスローガンとすることにしました。

第六章 植林の拡大

 植林はタゴール協会の運営するプロジェクトアリア9箇所で進められることになりました。それは西ベンガル州、ジャルカンド州、オリッサ州と3州にまたがる広範囲な地域で、毎年数百万本の植林が行われていきました。

 始めの数年間は土壌の条件が悪くても育ち、また成長も早いアカシア系の樹種を植えていきました。ポイントは雨季(6月中旬~9月初旬頃)の雨をいかに保ち、乾季の時期を苗がなんとか生き残れるようにするかにあります。そのため植林地の周囲を50cm~70cmほどの深さで堀を作ります。

これは雨を貯めることはもちろん、牛や動物などの侵入を防ぐことにも役立ちます。また、そのための見張り人を置きます。植林後の維持管理がなにより大切なのです。植えた翌年3月ごろには、植えたままの大きさ(4~50cm)で必死に耐えているように見える苗も、次の雨季を迎えるとぐんぐんと成長を始め、翌年には1~2mにも育ちます。こうなるともう牛や動物にも食べられることはありません。そのかわり、伐採や盗難の可能性が出てきます。そういうことのないように、植林のまえに村々で集会を開き、植林の意味や意義の理解と住民の参画を呼びかけるのです。住民の総意で植林を行い、協力し合って維持管理していくことがとても重要なのです。

 木が育つにつれてまわりの人々の関心も徐々に高まり、当初は植林の意義や必要性、効果などの教育、啓蒙をしなければならなかった地域住民の意識も変化していきました。そして植林に自主的に参加する人が増え、また他の住民や地域に波及していくなど、この植林プロジェクトそのものが地域全体の共有体験と共有財となっていきました。そして植林を熱望する村々が増えていったのです。

 4~5年もすると木は10メートル以上に生長し、植林された土地には見事に緑が蘇ります。女性たちは植林地の落ち葉を集めることで日々の燃料を確保できることになりました。視察で訪れると皆口々にそのことをうれしそうに話してくれるのです。それまでは燃料の確保は大仕事で、家から遠くまで歩いて雑木や枝を集めなくてはならないなど半日から一日仕事になっていました。今ではその時間がなくなり、そのぶん家の仕事に費やせるようになったと笑顔を見せてくれます。また、気温が下がって涼しい風も吹くようになったと言うのですが、これはどうも教えてもらったことを口にしている

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