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ようで、1988年にはアジアのノーベル賞ともいわれるマグサイサイ賞を受賞されています。

 その2ヶ月前の1989年11月3日、環境問題と教育問題をテーマの柱とし、21世紀にむけてのあるべき哲学の追求と啓蒙、そして実践を目的としたNGO京都フォーラムが発足しています。そして1990年3月、京都フォーラムの矢崎勝彦事務局長は福岡さんをフォーラムの会議に招聘すべく、その依頼のため伊予の福岡先生の自然農園を訪問、わたしもそのメンバーの一人として同行を許されたのでした。

​ その自然農園は、福岡さんの本を読んで感銘を受け

その2

わら一本の革命

福岡正信著(春秋社)

た人が世界中から訪れてきていて、農園のなかに建つ八角堂では長期の滞在も可能になっていました。「タオ自然学」を著したF.カプラもここにやってきて福岡先生と対談を行っています。本に書かれているとおり、自然のままに育っている大きな大根がある畑を見て感激をし、また木や草、野菜たちが活き活きとした気を発散し、霊性の宿っているような自然農園の景色や空気に圧倒されました。

 一日語り合うなかで、アジアやアフリカなどを訪問して目の当たりにした世界的に進んでいる砂漠化の現状に触れ、自らの実践してきた自然農法によって自然を蘇らせることができるという確信と緑化への強い思いをお聞きすることになりました。そのころ福岡さんは、さまざまな国から招待を受け、訪問を繰り返していたのです。

 

 福岡さんの自然農法は、種を何種類も混ぜ、土などで粘土団子状にして直接撒くもので、あとは自然の力に任せるというもの。それを応用して空から一気に撒けば緑化が可能だといいます。この自然農園の実態を見せられて言われると、そのことが可能なことに思えました。世界的な森林の破壊と減少そして砂漠化に対する警鐘が鳴らされ、そのための対策の必要性が声高に聞こえるようになっていました。オゾン層の広がりと二酸化炭素の増加、そして地球温暖化による大きな問題が目の前に迫ってきていました。そこに福岡さんの方法によって緑化が成功すればまさに画期的なことだと思われました。

 京都フォーラムは福岡さんの砂漠緑化計画を全面的に支援する方向で、そのための会議が開かれることになりました。その後、ダスグプタさんにタゴール協会からの協力の約束を取り付け、またインド政府との交渉も始まり、緑化プロジェクトは進み始めていったのです。

第二章 ダスグプタさんとの出会い 

 1992年10月、京都フォーラムの矢崎勝彦事務局長と初めてインドを訪問、コルカタ(当時はまだカルカッタと呼ばれていました)の土を踏みました。空港を出たとたん、熱気が全身を包み、また客を待ちかまえている人が重なるように表れ、わさわさという喧騒のなかにいっきに放り込まれました。人々は挑むような、怒っているような顔でしきりに、タクシータクシ

 

コルカタ

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